前のコラム 「歯科医師になって」 から
人生は試練と選択の連続だと思います。
大好きな父の突然の死、父の歯科医院を継承し、4年目を迎えようとしていた…2011年3月11日、
経験したことのない地響きと凄まじい揺れ…東日本大震災の発生。
父が築いた医院の素晴らしい部分はそのままに、いよいよこれから、
システムを変えてインプラント導入した3ヶ月後のことでした…
津波は1階のクリニックを破壊し、さらに津波の後に起きた大火災により、
町全体、私の自宅・歯科医院は完全に焼き尽くされました。
大切な人、大切なもの、当たり前の日常
その全てを失うこと…
もはや言葉では言い表すことはできません。
私は何ができるのか、どうすべきなのか…
『あなたが選んだ場所とその道があなたの復興の形だと思う。
後ろを振り返らず、あまり前を見過ぎないで、今をとにかく生きて。』
そう言ってくれたのは、父と仲良しだった先生。
2012年、姉がいる東京での再スタートを選び、姉のサポートで、都内で勤務医として復帰をし、
心身苦しく、多くのことを思い出し、不安な日々を送っていたと思います。
でも歯医者としての仕事をしている時間が自分の支えでもありました。
人は色々な苦しい経験の中で、学び、強くなり、
また新たな考えや疑問などが生まれてくると思うのです。
私はある時から、日々の診療の中に様々な疑問を持ちはじめました。
それは当然ながら、また一から勤務医として働いている歯がゆさでもありましたが、
時代の流れ、変化を感じていました。
一つの疑問と驚き、ある違和感は、
都内の保険診療ルールは、岩手県のそれよりも非常に厳しく制約されたもので、
我々歯科医と患者様を困難にさせている現実がある、ことでした。
患者様のもつ問題に対して、解決するための必要な検査・診査が保険でできない現実…
患者様に本当に合った治療法が保険ではできない現実…
正しく行った治療内容でさえも、厚生省が定めた保険点数のルール上、削除しなければならない現実…
(特に神奈川県と東京都は非常に制約され厳しいと聞かせれました)
院長の『相手は組織、仕方ないこと』そうおっしゃられた現実にとてもショックでした。
医療保険は非常に素晴らしいものですが、
歯科保険診療内容の一部は、もはや時代に合わず、
最善の検査はできず、それに添った治療をするのは難しいのが現状です。
であれば、覚悟を決め、歯科保険制度から離れ、
『必要な検査や技術を提供できる場所』
『患者さんに合った治療を提供できる場所』
『正しい治療を知ってもらうための場所をつくろう』と思ったのです。
治療費は適正で限りなく抑え、患者様に理解できるものにしなくてはなりません。
開業でうまくいくことは簡単ではありません、
また都内で開業なんて、わざわざそんな道を選ばなくても、夢を語るなとも言われました。
でも自分の思う正しいことをしたい。
もちろん、私の思う正しいことが、
理解され受け入れられるには、時間がかかる… そう覚悟して。
2019年5月、虎ノ門デンタルプラクティスを開院。
歯科医療に真摯に向き合い患者さんを治したい、
医療人の原点であるはずの思いと姿勢と技術を持って開業をしました。
『本気で悩んでいる人に』
『ずっと変わりたいと願ってきた人に』
『自分に合った治療を求めている人に』
…この場所を見つけて欲しい』
心からそう思っています。
場所も形も違う開業…
でもこの選択が未来の歯科医療に繋がる、ここが、新たに私が患者様とそして父と繋がる場所。
虎ノ門デンタルプラクティス
長坂裕子
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